記事のタイトルを何と読んだだろうか。
重複(じゅうふく)しても早急(そうきゅう)に慮る(おもんばかる)?
一応、間違いではないが、正しくは、
重複(ちょうふく)しても早急(さっきゅう)に慮る(おもんぱかる)
だと思う。自分自身も言語学者ではないから、本当に正しい由来とかまでは分からないが、一般的に後者が本来の読み方で、前者が誤用が広まり慣習読みになったものと思われる。そして私は、慣習読みをしながらも偉そうな口を叩くジジィがすげぇ嫌いだ。
「キミねぇ〜このデータ重複(じゅうふく)しちゃってるよぉ?こんなんじゃ社会人として失格だよ??」
っ!!!!社会人として終わってんのはてめぇの方だろうが!!無理して難しい言葉使って説教たれてんじゃねぇよ!弱く見えるぞ??
このように私が原作厨のようにオリジナルを指摘すると、社会を知った気になっている中学生は、
「言語や文化とは絶対的に存在しているものではなく、その時代に合わせて変化するもの(笑)今だって誰も〜ナリとか言わないっしょ??(笑)そんなに熱くなんなよなオッサンw」
と言ってくるが、そんなのクソくらえだ。
じゃあお前は、時代が変わって「おはよう」が「おちんぽピカピカ侍」と発音するようになっても絶対そのように言うんだな??約束したかんな??あと、コロ助は未だに〜ナリって言うから!はい、論破!!
別に無理して昔の言葉を使えと主張しているわけではないし、正しいもの以外は全て悪というラスボス的な思想があるわけではない。ただ、正しい言葉を注意して使っている人を見ると非常に思慮深い人だなと密かに関心するだけである。
かつてナポレオンは「人はその制服通りの人になる」といった。これは、服装(あるいはその役職)によってその人物の人間性が規定されるということだが、人にメッセージを伝えたり、状況によって使い分けたりする点で、言葉は服装と似ていると思う。つまり、言葉は心の服装なのだ。正しい言葉遣いをすれば自然と正しい心を持つことができる。その点で、汚い言葉や誤った言葉を使うということは、ボロボロの服、極論を言えば全裸(全裸とはおちんちんが丸出しの状態のことである)で人に会うのと同義である。そう思うと、私自身はうる覚えの言葉はすべからく使うのをやめて、少々不安で役不足にも感じるが、一生懸命正しい言葉を使っていきたいと思うのである。