はじめてついた嘘,ではないはずだが,記憶にある中で最も古い嘘は小学3年生の時のものであろう。その日は雨であったため,校庭で遊べなかった。そこで,禁止されていた「教室内で暴れる」という遊びに興じていた。その遊びの影響で,当時の私は疼く人妻の如く体内に熱を感じ,発汗までしていた。その後,授業が始まり,先生は「暑い人いる?」と尋ねてきた。私は疼く人妻くらいあつかったので,「あつい!!」と答えたところ,「今日は雨で外で遊べなかったはずだが,なぜ暑いのか?」とまんまと先生の叙述トリックにはまった。大人ってなんて汚いやつだ・・!と思ったが,まずは教室内で暴れていたことを悟られないようにしなければならない。当時,神童と言われた自分の脳を信じて私が導き出した答えは,「あ!間違えた!寒いって言おうとしたんだ!」と汗にまみれた顔で言うことだった。

 

やれやれ・・・何とか急場はしのげたかと自信たっぷりで先生の顔を覗き込むと,先生の顔は,憂いというか,哀れみというか,とにかく「ガキが・・舐めてると潰すぞ」と言いたげな怒りと,陳腐な嘘しかつけない子どもへの哀れみで満ちた顔だった。ここで初めて,もしかて僕の嘘ばれた・・・?と気が付いた。この経験は,自分にとって初めて嘘を意図的に使ったと気が付いた瞬間であり,また,嘘がばれただろうなと気が付いた瞬間でもある。

 

その後,今まで何千と嘘をついてきた。それは,友達に対しても,家族に対しても,そして,自分自身に対しても。もちろんいくつかの嘘は社会生活を営む上で避けて通れないものであることは理解している。例えば,クソダサの服を着てる人を見たとしても「かっこいいじゃん!!(え?異世界の罰ゲームか?)」と実際に思っていることとは逆のことを言って相手を傷つけないことも必要であろう。また,「できる!」と自己暗示をかけて,できそうもない難しい課題に挑戦することも大きな意味で考えれば自分自身に対する嘘かしれない。

 

こういった「良い嘘」もある一方で,やっぱり嘘は良くないなと思うことが多い。自分が嘘をつきまくったせいで,ここ進研ゼミで出たところだ!ばりに相手が嘘ついてんだろうなっていうのが何となく分かるようになってしまった。そういった嘘を悟った時,自分もあの時の先生と同じように,嘘に対する怒りと失望,そして,自分を見ているかのような悲しみの入り混じった顔になっているのだろう。

 

かつてマザーテレサはこのように言った。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

マザーテレサ

 

嘘と言うのは,自分の中に渦巻く暗闇から,使えそうなものを注意深く選び取る行為だと考えている。つまり,嘘ばっかりついてると,自分の頭の中は常に,どろどろとした淀みがはびこることになる。そういった生活からは健康的な生活は見いだせないだろう。結局,結論としては,嘘をつきまくって生活する自分自身を変えたいというだけの話である。え?なにこれつまんな。自分の日記を公共の場に垂れ流すなってことですよね。すみません。浄化するために,クソ面白い4コマを置いておきます。

 

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え?なにこれつまんな。