ブラックジャック -英語版- (書評)

はじめに

ブラックジャックは、手塚治虫先生の超傑作であることは疑う余地もないため、どの面下げてテメェが評するんだと思われるかもしれない。ただ,私はこれまで幾度となくこの漫画に助けられたと思っているほど思い入れが強いので,是非その魅力を改めて伝えたいと思った次第である。今回は,印象的なエピソードをいくつかピックアップしたい。

 

 

おススメエピソード

 

 (*以下,BJ=ブラックジャック

 

第3位 二人三脚

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物語は小学校の運動会の回想から始まる。運動会で行われた二人三脚に出場した息子と父親は断トツでビリだった。そのことを恥ずかしく思った息子は棄権したがったが,父親は「格好悪くても構わないから,最後まで協力してやりきることが大切」と不格好なまま完走した。

 

そして時は流れ,その息子はギャングになってしまった。父親は不器用であるが故に息子と上手くコミュニケーションが取れず,二人三脚をした頃の可愛い息子に思いを馳せていた。しかしある時,ガツンと言ってやろうと決意し,息子の後をこっそりと追いかける。息子がギャングのアジトに入るところを目撃し,後を追って説得しようとしたところ,ギャング仲間にスパイだと認識され,口封じのために殺される事となった。気絶させられ、爆弾とともに暴走した車に乗せられていたが、息子がギリギリになって爆発の間際に飛び込み、助けようとした。しかし、親子2人とも爆発に巻き込まれてしまった。

 

目がさめると息子はBJの病院で治療を受けたことを知る。また、親父は残念ながら助からなかったことも知らされる。息子は,不格好な人生を歩き続け,挙句の果てにギャングに殺された父親の人生を改めて軽蔑する。すると、BJは彼の治療された足を指差し、彼の足は亡くなった父親の骨を使用して治療されたことを伝える。そして、母親からは父親がアジトで渡そうとしていた手紙を渡される。そこには、不器用な字で、「人生には色々な道があるかもしれないが,人は1人では生きられないので,どんな時でも二人三脚のように協力しあって生きていかなければならない」と記されていた。彼は不器用な父親の思いを知り,まっすぐ生きていくことを決意する。父親からもらった足で二人三脚しながら。

 

 

 

 

第2位 助け合い

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異国の独房でBJが拷問を受けていた。彼はある事件の濡れ衣を着せられていたのだ。彼の無実を証明できるのは,犯行時間に一緒にいた蟻谷という日本人だが,連絡先も何も知らなかったため望みは皆無であった。しかし,蟻谷は日本人が拘束されたというわずかな情報だけを元に,遠くからわざわざ証言者として現れたのだ。蟻谷のお陰で開放されたBJは深く感謝し,医者として助けられる時は絶対に恩返しすると約束した。

 

月日は流れ,蟻谷は真面目に働いていた。すると,社長に呼び出され,汚職事件の責任を全て引き受けて自殺しろという,無茶苦茶な要求をされる。無理だと断ったが,最終的に社長に強制的に自殺させられる。

 

蟻谷の”汚職自殺”のニュースは全国放送され,BJの耳にも入った。蟻谷は瀕死の重体でもうじき死ぬと聞いたBJは,かつての約束を果たそうと蟻谷のいる札幌に向かう。しかし,通常の手段で札幌に向かったのではとても間に合わない。

 

そこで,まずは高速道路をスピード超過しながら逆走する。警察が追ってきたところで車を乗り捨て,現金即決で新しい車を買い,ロンダリングして警察から逃げる。海を越える必要もあったので,その辺に停まっている船も現金即決で買って,北海道へ急ぐ。あらゆる違反と莫大な金を使ってようやく着いたと思ったら,蟻谷の担当医が部外者には手術させられないと追い返す。絶望かと思われたが,病院のオーナーから病院を現金で買うという一休さんもびっくりのとんちで乗り切った。

 

あらゆる手を使い,蟻谷のもとにたどり着いたBJは約束通り手術をして蟻谷を救った。また,今後社長たちに狙われないように,顔の整形手術もしてあげた。蟻谷はここまでしてくれたことに感謝し,

 

「なぜ私なんかのためにそこまでしてくれたのか」

 

と尋ねた。

 

BJはこう答えた。

 

お互い様でさぁ。アンタに助けられたときはもっと嬉しかった

 

第1位 ナダレ

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「脳は頭蓋骨という狭い空間では,成長が制限されるので,もっと広いお腹に脳を移植すれば賢くなる」という仮説の下,ナダレと言うシカに脳移植の手術が行われた。その結果,ナダレは確かに賢くなったが,逆に賢くなりすぎて,自然破壊をする人間を敵と認識し大量殺戮を始めるようになってしまった。手術を行った科学者はこれ以上大量殺戮をするならば,ナダレを撃退しなければならないと考える。そこで,彼は,「人間が裁くのは人間だ」と言い,ナダレを撃ち殺した。

 

そこでBJは 

 

人間が人間を裁くと言ったね,人間が動物を裁く権利があるのかね

 

と投げかける。

 

 

最後に

以上がブラックジャックの魅力が特に詰まったお話である。ブラックジャックのメインテーマは「生きることの素晴らしさ」である。どのような見た目や考え方だったとしても生き続けることそのものに価値があると考えている。BJ自身も幼少期に体がバラバラになる事故を経験し,体中ツギハギだらけになって人々から気味悪がられたが,生きることの素晴らしさを信じ懸命に生きていた。

 

しかし,命と言うのはこのように単純に説明できるものではない。例えば,この世には生きたくても生きられない命があるが,そういった命たちに対して「生きていることは素晴らしい」と説くのは,不自由なく生きられる人の戯言に過ぎない。また,生きているからこそ苦しんでいる命も考えられる。治る見込みがない重い病の人にとっても,生き続けることが最善なのだろうか。このように,命は大切という共通認識の下で,命は不平等に存在している。

 

また,生きていることは素晴らしいと主張する一方で,他の命を奪って生きているという矛盾にも悩まされる。誰かの"素晴らしい"命の犠牲の上にあるのが,自分の"素晴らしい"人生なのか。究極,生きること自体がいけないことなのかとすら思ってしまう。では,自分のエゴを殺すために自分自身も殺すべきなのか。

 

手塚先生が伝えたかったのは,こういった矛盾を抱えながらもそれでも生きていくということだと思う。手塚先生自身は戦争体験をしており,その過程で命の矛盾や生きることに対する疑問を感じたはずである。しかし,そういった体験を経験した上でなお,生きることの素晴らしさを主張している。矛盾や救われない思いに対して絶望して終わるのではなく,その絶望を味わった上で生きることの素晴らしさを見出している。私はその考えに対して敬意を払いたい。

 

そもそも死や生に意味なんてないのかもしれない。生きる意味や目的などなく,死ぬものは死ぬし,生きるものは生きるだけかもしれない。誰もが命を大切にしたいと思う一方で,命は儚く散るし,そしてまた生まれる。そういった大きな生命のサイクルでなぜ自分は生まれ,死ぬのか考えたところで結局は何も変わらないだろう。しかし,そんな虚しい生命循環の中でも,これまでに楽しかったことや幸せだったことは確かにあるし,これからもあると信じている。これらは,全て生きているからこそ経験できることだ。だから,死んで許されようとするのではなく,幸せのために生きたい。誰かが生きられない世界の中でたまたま自分は生きられて,そして自分の幸せのために依然として生き続ける。自分勝手ではあるが,今はまだこのエゴイズムを貫き通すしかない。命を粗末にせず生き続けることが素晴らしい人生を歩める者たちの使命だと思う。

 

 

何だが説教くさくなってしまった。いつもウンコかウンチのことしか考えてないくせに急に堅苦しい話をするんじゃねよってね。ちょっとチューニングを戻しますかね...

 

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これで±0かな...?え?マイナス? ブラックジャック先生,助けて....。