【問5】おっさんの定義を述べよ
これは、昭和46年度マサチューセッツ工科大グルーバルビジネスコミュニケーション入試試験で出題され、大いに波紋を呼んだ通称"Daimon 5"だ。具体的な採点基準は公表されていないが、「中年の男性」といった教科書に従った模範解答の答えた学生は悉く落ちていたらしい。
それでは、おっさんとは何だろうか。
私は、おっさんに「執着する存在」という定義を与えたい。
執着する対象は様々だ。例えば、おっさんは服に執着する。これはおしゃれに敏感という意味ではない。すでに持っている服に対して異常なまでの執着をして、ドン小西先生も顔負けな着まわし(一緒の服を着まくる)をする。服に関心がないという見方をすれば、執着とは言えないかもしれないが、とにかく、他の選択肢に目を向けずに、現在うまくいってる(と思っている)状況に執着するのだ。
もう1つの例としては、自分がやりたいことに執着する、と言えるだろう。例えば、もしテレビで競馬中継が見たかったら、他のみんながどれほどワイド番組に夢中になっていたとしても、気の抜けたような顔でチャンネルを変えてしまう。それは、自分の競馬を見たいという、思いに執着し、周りの気持ちなどは一切考慮しないからだ。
このように言うと、おっさんとは周りの目を気にしない無粋な奴らと思われるかもしれないが、それは間違っている。おっさんとは、純粋な執着をしているに過ぎず、そこには一切の悪意や邪心はないのだ。何かが気になる、と思えばボリュームの調整も忘れ大声で聞くし、好きなものがあれば、他のものには目もくれず、そこに執着する。
例えば、バイクが好きなおっさん。そんなおっさんはバイクに対して異常な執着をする。誰も見ないディテールにこだわり、風を愉しみ、空を愛する。そこには「モテたい!」という下心や「コストパフォーマンス」といった胸算用はせず、ただ素朴な楽しみを求めている。
その姿は少し滑稽で、そして、お茶目だ。同じものを好きな人を見つけたら、目を輝かせ、話に花を咲かせる。もちろん、そこにも自慢話やマウントの取り合いはなく、ただひたすらに好きなものに執着する。
そう言った意味でおっさんとは、非常にこだわりが強い存在だ。時にはそのこだわりが億劫に感じられることもあるかもしれないが、自分が信じた対象に忠義を尽くす姿勢、これは武士道であろう。
私は、こんなおっさんになりたい。空気が読めなくても、疎まれても、自分が信じたものに突き進む、そんなおっさんになりたい。
ちなみに、このおっさんと対象的な存在として、「大学のミスコンのツイッターアカウントに、迫真の自撮り画像で、キモい文面をリプライするおっさんモドキ」がいる。彼らは、0.000000000001%もチャンスがないにも関わらず、ワンチャンスを狙おうと、毎回懲りずにリプライを送りつける。特定の女の子にちょっかいをかけまくるならまだしも、大抵こいつらは独自のネットワークにより、大学から企業まであらゆるジャンルのミスコンの女にリプライを送りまくっているから、武士じゃない。さらに、無駄に体を鍛えているアピールをしたり、難しいことを考えたり、昨今の不平等社会に物申したりと、少しでも女の子からのポイントを稼ごうと必死である。中身のない中年男性が、片っ端から若い女に唾をつけて、どれが1つでも当たってくれりゃいいなーと神頼みしてる姿っ!!これはダメッ...!これはおっさんではなく、クソジジイがやることだ!
おっさんは、若い素人女にちょっかいをかけない。その代わり、若い店員にはちょっかいをかける。
おっさんは、体を鍛えない。その代わり、ビール腹で熱いビートを刻む。
おっさんは、難しい話をしない。その代わり、自分の武勇伝を何回も語る。
おっさんは、不平等社会に物申したりしない。その代わり、そばの提供がいつもより遅いと、親の仇のようにキレる。
自分のために生きるんだっ..!誰かのために生きようとするなっ...!!
知識は使うんだっ..!誰かに見せるためじゃない..!
肩書きは特別でなくて良いっ...!自分は特別と思うなっ...!
嫌われても、こだわるんだ。こだわりを捨てて、自分は無害とアピールするなっ..!
クシャクシャの財布で良い。
ヨレヨレのラコステで良い。
孤独な夜が、あっていい
おっさんであれよ。
BE おっさん。
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