キスで口をふさぐな

一方の意図や思いを無視して強行突破する最たる場面と言えば,キスで口をふさぐことだろう。例えば,異性の幼馴染がクラスメイトとおしゃべりをしていたので,自分との約束に遅れてきたとする。あなたはそのことについて咎めるかもしれない。「ちょっと!なんで約束の時間に遅れてくるのよ!しかもよりによってあのミカと話していたから遅れたですって!?私よりミカの方が大事なの??そんなにミカのことが好きならミカといっしょに..ンッ・・・!!!(キスをされて口がふさがれる)」のような場面である。

 

 

大抵このような強行突破をされた場合には,戸惑いや困惑がありながらもそれを上回る興奮と嬉しさにより「ば,ばかぁ・・」と赤面して許してしまうのである。私はこのような現象が日常生活でまかり通っていることにたいして警鐘を鳴らしたい。

 

例えば,車で道路を走行中に別の車線から強引に車線変更してくるカスである。「おいコラ,てめぇのカス運転のせいで急ブレーキ踏む羽目になっちまったじゃねえか。しかも,この先の交差点は矢印信号の時間が短いから...ンッ・・・!!!(ハザードを焚きながら車線変更される)」

 

一応,補足しておくと走行中のハザードは、後続車に対して、入れてくれたお礼を示す。つまり,カス運転に対して文句を言おうにも,「ありがとね!」とあらかじめ言われるとこちらとしては「ば,ばかぁ・・」と赤面して許してしまうのである。

 

もう一つの例として,トイレで見られる「キレイに使ってくれてありがとうございます」がある。極端な話をすると,どのようなスタイルで放尿するかは各人の自由であるはずである。従って倫理観をドブに捨てれば,尿を汚くまき散らしても別に良いはずである。「よし!俺っちの最新技っ!ムーンサルトアタックで...ンンッ!(キレイに使ってくれてありがとうございます)」

 

このように、キレイに使ってくれてありがとうございますと予め言われると、キレイに使わざるを得ないのである。もちろん、SNS(スタンダード尿スタイル)の方が良いに決まっているのだが、もともとの意思や意見を有無を言わさず抑え込む姿勢は感心できない。

 

極端な話、これは一種の洗脳である。お礼やお願いの先出しにより、我々はモラルの檻に入れられ、そこでの振る舞いを強いられる。確かにそれでうまくいってるし、モラルある行動の方が良いとは思うが、問題にしたいのはそこに自分の意思が介在していないということである。

 

つまり、誰かが良い(とされている)ことを先出しした場合、それがどのようなものであれ、それを享受しなければ、自分が悪者にされてしまうのだ。「良い(とされている)こと」としたのは、モラルの主導権が先出しした側に完全に委ねられているからだ。言い換えれば、それが良いものか悪いかものかも判断させる余地も与えず、「これが良いんだ!(ドンっ)」と迫力を持って迫られれば、それが良いものとなってしまい、その基準で世界が広がってしまうことだ。

 

私は、そのことに違和感を覚えてしまう。

 

まるで、泣いている子どもをあやすために2万ダースのトミカを与えるようなものだ。子どもはその圧倒的トミカに喜び、泣き止むかもしれないが、そこには子どもの内的解決プロセスもなく、一気に快感情が押し寄せたから泣き止んだだけである。つまり、その子どもは何が嫌で泣いたのか、どうしたかったのか、と言ったことも考えないまま、「トミカやん儲けたわー」と納得した気分になって、終了してしまう。

 

これは、ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風ディアボロのスタンド、キングクリムゾンに通じるところがある。それは、時の過程を消し去り、一気に結果に辿り着くような能力(例、野球は1回表から9回裏まで行われるが、キングクリムゾンが1回から9回表を全て飛ばし、一気に9回裏にしてしまうようなもの)である。確かに、どちらのチームが勝ったかの結果を早く知るには便利かもしれないが、その間に考えたことや感じたことは無かったことになってしまう(ただ野球をしたという事実だけが残る)。

 

本当に大切なのは、結果ではなく、その間に何を考え、何をしたかったのかだと思う。

 

いくら結果が芳しく無いものだったとしても、その間に何をしたくて、どう感じていたのかが重要だと感じる。お礼や快感を先出しして、その過程を一気に吹き飛ばすのはやはり良くない。私は何があっても、こういったものには屈したくない。しっかり考え、しっかr...ンンッ!!(超絶美女のキス)

 

 

まあ、人生楽しんだもの勝ちっしょ!✌︎('ω')✌︎