創作物語では頻繁に聞くが,現実世界ではまず聞かないセリフの1つは「俺(私)の顔に何かついてるか?」である。場面としては,何か思惑や目的がある第三者が意味ありげに見入る時,そういったプロセスに気が付かない鈍感な話者がとぼけた声で聞くという場面が考えられる。これは全くもって現実的ではないし,たった一言で作品全体を台無しにしてしまう可能性のある悪魔の言葉だ。以下に「俺の顔に何かついているか?(以下,My face theory)」の問題点を記す
(1)意味の分からない経験をするな
まず前提として,人間は過去の経験をもとに原因帰属をする傾向がある。例えば,過去に自分がふさわしくない振る舞いをした結果,相手が不機嫌な顔をしたという経験があるとしよう。そうすると,次に不機嫌な顔を見た場合,自分が何か相応しくない振る舞いをした可能性があると推測する。ここで,My face theoryに立ち返って考えてみると,次のような原因帰属プロセスを行っていると考えられる。
「他者が自分の顔を意味ありげに見つめていることを認知」
→「なぜ見つめられているのか?」
→「過去に見つめられた経験を想起する」
→「自分の顔に何かついていた時だ!」
→「つまり,今俺の顔には何かついているのかもしれない!」
つまり,この人物は過去に少なくとも1度以上顔に何かついている時に見つめられたという謎経験があるということだ。ここでの疑問は顔に何がついていたのか,ということだ。なぜなら,他者の顔に何かついていると認知した場合,通常人がとる方略としては大きく(a)指摘する (b)見て見ぬふりをする の2つが考えられるはずだからだ。しかし,この2つの方略ではなく,(c)見つめる の方略を採択した理由があるのだ。(a)(b)ができない,つまり,指摘はできず,見て見ぬふりもできないようなものが顔についていたことがある。
(a)指摘ができないということは,倫理的にはばかられたり(どのように対処すべきか分からない),あるいは,それ自身が何かが断定できないという不明確さから来ると考えられる。また,(b)見て見ぬふりができないということは,目をそらすと自分かその対象に危険が及ぶ,あるいは先延ばしせずに早急に対処すると考えたからではないか。
以上2点を総合すると,目を背けられないような事態でどのように対処すべきか分からない未知の存在が顔についていたと考えられる。例えば,怨霊の類や時限爆弾などである。そんな意味の分からない経験をするな。
(2)仮についていたとして,他者に委ねるな
(1)の仮説(今までで怨霊や時限爆弾が顔についていたことがあるとして,その経験をもとに今自分が見つめられているのは,自分の顔に何かついていると思った。)が正しいとして,「顔を見ている(結果)のは,顔に何かついているから(原因)か?」と原因を確認する必要があるのか。通常,一般的な生活,特に他者とのインタラクションを送る中で原因確認をすることはごくまれである(例 A.「ねえねえ(肩をたたく)」 B.「肩をたたいたのは振り向いてほしいからか?」)。
とはいったものの,何らかの理由で原因を追究することが必要な場面もあることにはある。例えば,損得が生じる場面や,通常とは異なる方法を実行する時などである。しかし,今回のように何かが顔についている場合,原因を追究することは意味があるのか。
「顔に何かついてる?」
→「はい」
→「よし,それを取り除こう」
→「取り除く」
この赤字のプロセスがないと「取り除く」という動作ができないというわけではあるまい。また,この赤字プロセス(聞く)という方が「聞かずに動作をする」ということよりも特別優れている理由もなさそうである。以上の点から,顔に何かついているか聞くことは不毛な質問であると考えられる。したがって,仮に顔に何かついていたとしても,聞く前に自分で何とかするべきではないのか。
(3)では何を言うべきか
以上これまで述べてきたように,「俺の顔に何かついているか?」と聞くことは,人間の自然な行動から逸脱した不自然極まりない現象なので,直ちにやめるべきである。しかし,このように何かを非難する場合には,それよりも優れた代案を示すのが道理であろう。どれ,意味ありげな視線を感じながらもそれを気が付けない鈍感な性格を的確に描写する返しを教えてやろう。
まず鈍感さを表すために,顔を見られている理由を見当違いにする必要がある。特にそれは,本来の理由から遠ければ遠いほど鈍感さは増すと考えられる。本来の理由(見つめる側が抱える思いや思考)の対極として,物質的なものが良いだろう。
また,物質的な物に注視する理由としてなるべくコンテクストから外れていることが望ましい。ロマンチックな雰囲気やシリアスな雰囲気から外すためには,日常に即した文脈に変えると効果的なはずだ。
さらに,見つめられていることを訝しがったり,相手を責めるような返しをしてしまうと,鈍感という協調したいパーソナリティからはずれてしまう。故に,自分に非があるような原因帰属を含む返しにすべきだ。
以上3点,日常的でかつ自分の顔が原因と考える発言.....例えば,顔に何かついているかどうか聞くのはどうだろうか?。ンーーー、改めて考えると凄いな、って思うなあ。俺はやっぱ。凄いなあと思うなあ。サムネも作れるしさ、記事も作れちゃうし、ほんでー鋭い考察もできるでしょ?ほんでー、さらには自転車も乗れるって?ほんでー、記事書くのも一人でやってるって?なかなかできないよ、そういうことは。なかなか難しいと思うよそういうことは。そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよやっぱ俺はすごいなー。
え?なんでそんな目でみてくるの?もしかして俺の顔に何かついてるか??