The invention of lying (映画)

 

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はじめに

書評に続き映画レビューのフォルダーも作った。初回となる今回は「The invention of lying(ウソの発明)」を取り上げたいと思う。なお,オチ含めた全体の内容を含んでいるので,ネタバレを好まない方はこちら☟

 

yaitaonigiri.hatenablog.com

 

物語

物語の舞台は現実世界とよく似ているが,1つだけ決定的な違いがある。それは,誰も嘘をつかないということである。嘘をつかないということは,正直で良い人ばかりという訳ではない。遠慮や建て前と言う概念がないので,思ったことはなんでも言ってしまう。(Ex.「お!お前の赤ちゃんぶっさいくやな~」「今日仕事休みま~す!え?病気?違う違う!普通にお前が嫌いだから!」)

 

そんな世界で暮らす冴えないライター,Mark。彼は仕事も恋もパッとしない。今回のAnnaとのデートもうまくいかなそうである。彼女は,

 

オゥ!でっけぇ鼻!

 

もしもーしママ?あ,今日のデート?こいつはあかんわ!金もねぇし!今日は普通に直帰っす!

 

と惜しげもなく彼をこき下ろす。デートは勿論うまくいかず,

 

私可愛い過ぎて貴様とは釣り合わない,残念ッ!

 

とお祈りメールをもらい,さらに働いている会社からも

 

お前の書いた作品ダサ杉晋作だからクビッ!!

 

とクビの宣告を受け,どん底に落ちる。

 

有り金300ドルでは800ドルの家賃も払えず,家まで追い出される。仕方がないので,有り金300ドルを銀行から引き落とすことにした。その時,銀行のサーバーエラーにより,銀行員は彼の口座にいくら入っているのか確認できなかった。そこで,銀行員は彼に「口座にいくら入ってるの?」と尋ねた。もう一度確認しておくと,この世界の住人は嘘をつかない。口座に300ドルがあったら当然300ドルと言う。でも,800ドルあれば家賃が払える....でも,口座には300ドルしかない。800ドルではない。でも....でも...

 

銀行員「で?いくらあるの?」

 

Mark「....ッドルッス...」

 

銀行員「は?」

 

Mark800ドル...っす」

 

銀行員800?あ!サーバーエラーが直った!あれ?口座には300ってありますが...?」

 

Mark「ギクッ!!」

 

銀行員「おかしいですね...」

 

Mark「(や,やばい...!)」

 

銀行員「きっと機械の故障ですな!はい,800ドル

 

嘘が存在しない世界では,人は真実しか言わない,これは即ち,人の口から出た言葉は全て真実ということを意味する。したがって,銀行員はMarkを疑うこともなく,現金を渡したのだ。

 

Markは奇妙な感覚に包まれた。言葉では表せない謎の行為によって,いとも簡単に大金を手に入れてしまったのだ。そう,彼はこの世界で初めて「ウソ」を発明したのである。彼はその後,「ウソ」をうまく利用し,それなりに楽しんでいた。そんな時彼の母親が危篤状態となった。彼の母は死後の世界をとても恐れていた。何もない暗い世界で孤独に生きたくないと震えていた。そんな姿を見てられないと彼は「死んだら,好きなものに囲まれたとても良い場所に行ける。」と「ウソ」をついた。その「ウソ」で彼の母は救われ,安らかに眠った。

 

その後,母のためについたとっさの「ウソ」はこれまでその概念を知らなかった世界中の人の注目の的になった。民衆はMarkが言った死後の世界を真実として疑わなかったのである。彼は,困惑しつつも,所謂「神と天国」の思想を人々に説いた。人々は驚き,そして彼を唯一死後の世界を知っている人物として讃えた。そのおかげで彼はかなりの社会的地位を得た。その後も彼はその地位と嘘を利用して,豊かな生活を送っていた。

 

しかし,そんな順風満帆な生活を送っていたが,それでもうまくいかないことがあった。それは最初にボコボコに振られたAnnaとの関係であった。実は,嘘をつきお金を得てからは関係自体はそれなりにうまくいっていたが,最後の一歩を踏み出せていなかった。その理由は,彼の容姿(デブ&不細工)にあった。Annaは彼の人間性には惹かれていたが,「不細工な子どもを産むのはNG」と肉体的には拒んでいた。そう,真実しか言わない合理主義のこの世界では,結婚の最優先事項は良いDNAを残すことなのである。

 

彼は「不細工は遺伝しない」とか嘘をつけば彼女をだまして結婚出来ただろう。しかし,彼はこのタイプの「ウソ」をつくことを拒んでいた。結局,彼女はイケメンエリートとの結婚することになってしまう。彼女も戸惑いがあったものの,世界はこういう風にできていると結婚を受け入れようとする。そして,2人は神父の前で永遠の愛を誓うことになった。そこで,神父は合理社会のルールの下,一応確認を取る

 

「この式場にこのイケメンエリート以上に良い遺伝子を残せる人がいるか?」と。

 

ここで名乗りでたのは勿論,Mark

 

「俺なら彼女を幸せにできる。イケメン,高身長,高学歴が子どもにとって幸せか?幸せはそれでしか測れないのか?」

 

Annaは動揺しながらも,答えを求めるように尋ねる。

 

「あなたが知ってる「神」は何と言っている?私はどうすればよい?」

 

ここでも,

 

「私が知っている「神」は俺と結婚しろと言っている。」

 

と「ウソ」をつけばよかったが,ここでも嘘を拒む。そして,

 

「君が思うようにしてほしい」

 

と「ホント」の気持ちに従ってほしいと頼む。そこで,Annaは自分の「ホント」の心に従い,Markとの結婚を決めた。そして,不細工な息子にも恵まれ,Annaが作った丸焦げ激マズ料理を「うまい!」と食べて,Happy End。

 

感想

我々が日常的に使用している嘘を,「ウソ」がない世界を通して見ることによって,嘘とはどのようなものであるかを考えられる。この映画では,明確に「悪いウソ」と「良いウソ」が分けられている。例えば,「俺とセックスしないと世界が滅びる」とその辺のレディをひっかけた時には,その罪悪感から最終的には逃げ出していた。これは「悪いウソ」であると認めたからであろう。一方,お母さんのために「死後は幸せになる」と言ったのは,「ウソ」をつかなければお母さんが苦しみ続けてしまうからであったので,「良いウソ」と考えられる。

 

では,これらの違いは何であろうか。そもそも嘘の最も重要な要素は,意図性にある。意図的に事実と違うことを言ってはじめて嘘となるのだ。つまり,本人がそれを事実だと信じていたとしたら,それは例え事実と違っていても嘘とは言えない。しかし,人が何を真実と考えているかは本人以外誰も分からない。したがって,事実と違った言動をした人を見ただけでは,その人の真意(意図的に騙そうとしているのか真実として信じているのか)が分からないのである。

 

そのように考えると,「良いウソ」と「悪いウソ」というのは,意図的に自分の利益を得ようとするか,相手の利益を考えるかの違いであると考えられる。つまり,劇中で民衆に「神と死後の世界」について説くシーンでは,「何々をしないと幸せになれない」と意図的に自分の利益になるようにような行為をすれば「悪いウソ」,「実際そんなものはないけど,この思想によってみんなが健やかに生きられる」と意図的に他者の利益を考えれば「良いウソ」,あるいは心から「神と死後の世界」を信じていれば「事実」となるのであろう。

 

以上のように,一口に事実と異なる言動と言っても,それが意図的に傷つけるためなのか,人を思っての結果なのか,あるいはそういった意図はそもそもないのか,我々は知る余地がない。そんな手探りのコミュニケーションであるが故に,勘違いやすれ違いが起きて悲しむ場面もあるだろう。しかし,逆に相手の真意が見えないからこそ,優しさや思いやりの片りんが垣間見えた瞬間は何事にも代え難い素晴らしいものとなる。今回の映画のように相手の「ホント」の気持ちが見えることが全てではない。見えないからこそ,相手を慮ったり,人の気持ちに寄り添ったりして,少しでも理解しようともがき,努力するのだ。そして暗闇の中でほんのちょっぴりでも分かり合えれば,それほど美しいものはない。全てが見えないからこそ,それが少し見えた時に輝く,そう,それはまるでパンティのように。