ストロー廃止によって時は止まるのか?~ Does time stop by bannning plastic straws? ~

はじめに

グレタちゃんの大活躍もあり、世は空前の環境ブームである。うだるような暑さの日でも空調を制限する大学当局の絶え間ない努力。レジ袋有料化。もはや学習どころの環境ではなくなったとしても空調を制限する大学当局の献身的な努力。

 

そう、世は空前の環境ブームなのである。

 

その一環として、プラスチック製のストローを廃止する動きがある。これはプラスチック資源の切削や海洋環境保全にとって極めて有効であり、大学当局も顔負けの最強環境対策タクティクスである。

 

しかし、コインの表と裏のように、メリットとデメリットは常に表裏一体である。今回の政策についても、必ずしも良いことばかりではなさそうである。それは、私のような飲み物飲むのがヘタクソなやつが非常に苦しむ、ということである。

 

飲む とは?

まずは人間が飲み物を取る行動について考えてみよう。飲むという基本的動作について、カリキュラムに沿った教育を受けられた人はいるだろか?おそらくスネちゃんママ以外はそのような厳密な教育をしていない。せいぜい「ちゃんと飲んで」程度の抽象度の高いアドバイス程度にとどまるだろう。その弊害で私のような飲み方が苦手なキッズが爆誕してしまった。

 

では,どのように私は飲むことが苦手なのか。一般的なの味方を示した後に,私の飲み方を示そう。

 

みなさんにとっては,今更言われるまでもないと思うが,敢えて図示するとするならば以下のようになるのだろう。

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そして私の場合はこうである。

 

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そしてこぼす


今までよく飲み物をこぼすなとは思っていたが,飲むという行為はそういうものだと思っていた。つまり,時には雨の日もあるように,その時々の運でちゃんと飲める日とこぼしてしまう日が決まると思っていたのだ。そうして,こぼしまくる私を見かねた友人に指摘されて初めて自分の飲み方が一般的ではないことに気が付いた次第である。

 

飲み方を矯正しようと試みるものの,手首のスナップだけで飲む量をコントロールするという一般的な飲み方は,やはり怖すぎてできない。よく魚の食べ方が汚い人は育ちの悪さを揶揄されるきらいがあるが,飲み方も同様のことが言えそうで不安である。例えば社長との会食で超完璧に魚を平らげたとしても,その後のデカビタをこぼしまくってたらきっと死刑だ。ストローさえあればこのような悩みは不要なのだが,残念ながら現在はストロー使用者は地球にファ●クするクソ野郎という烙印を押されてしまう。

 

まとめ

私は今後も地球の環境を守るために,一定の確率でこぼし続ける人生を歩むしかないのか。

 

一体これから何枚の白シャツをデカビタでこぼすことになるのだろう。

 

一体これから何枚の重要書類をデカビタでこぼすことになるのだろう。

 

一体これから何枚のカーペットをデカビタで汚すことになるのだろう。

 

それでも私はこぼすしかないのだ。ウッ...かけがえのない...地球を...グス..守るっ..だめに...

空条承太郎「フン,そうやって泣いている奴がいるのが『かけがえのない地球』というのか?」

 

グスン...ウァアアアアアアアアアアアアアアンン!!!!

 

空条承太郎「やれやれ..とんだ泣き虫小僧だぜ...本気をだすしかないな...」

 

エ...グスン.....ナ,ナニヲ....?

 

空条承太郎「飲むという動作をしないといけのは,飲み物にかかる重力があるからだ!オレがこの世から重力を無くせば,お前のその涙は下に落ちることすら...ない!!」

 

エ...チョ...マジ??

 

空条承太郎「ザ・ワールド!!!!時よ止まれ!!!」

 

 

ドウゥゥゥウウウウウウンン!!!!!