ジジイの謎 〜A question of JiJi〜

「うどんかそば!」

 

綺麗な装飾が施されたドアを開けるやいなや,初老の男性が注文を告げた。海辺のカフェで優雅なコーヒーを楽しんでいた我々も,お洒落なエプロンに身を包んだ店員もあっけに取られるばかりであった。そう,ここは,どこまでも藍い太平洋を臨む、泣く子も黙るお洒落カフェなのだ。そんなカフェでメニューも見ずにジジイは「うどんかそば」を求めたが,当然お洒落カフェにはうどんもそばも無かった。店員は戸惑いながらもギリギリ存在した焼きそばを勧め,事なきを得ようとした。ジジイは激高することも落胆することもなく,勧められるがままに焼きそばを注文していたが,その様子を見て,私はこれまでのジジイの生活スタイルについて思いを馳せざるを得なかった。きっとこのジジイは,これまで場所や時期に合わせて自分を調整するのではなく,今回のように周りの環境を変えさせて生活してきたのだろう。かつて仮面ライダーカブトという作品で主人公天道総司は,「世界は自分を中心に回っていると考えたほうが楽しい」と言っていたが,間違いなくそのジジイは自分を中心とした超高速スピンをしていただろう。そう思った刹那,突然視界がぐらついた。高速で回る強烈な渦に巻き込まれたように・・・濁流の中でジジイを見ると,ジジイは軽やかにジャズが流れる店内で,爆音で演歌を再生しだしたのだ。

 

ジャズと演歌という、奇妙なコントラストはまるでオムライスの上に赤貝を載せたような居心地の悪さを醸し出し、店内の我々は押し黙った。ここで、読者諸君の中には「ハイハイ、よくあるクレイジージジイシリーズだろ」と思われた方もいるかもしれない。確かに、携帯ラジオを片手にストリートスタイルで演歌を垂れ流していたら、私もどこの駅にも1人はいる少し変わったジジイ程度にしか思わなかっただろう。しかし、今回はある不可解な謎があったので、普通の変わり者ジジイではないと考えられる。

 

 

それは、ジジイがスマートフォンで演歌を垂れ流していたことである。

 

 

仮に携帯ラジオで演歌を垂れ流していたとしたら、そのジジイはイヤホンやヘッドホンという存在を知らず、音楽は垂れ流すものという認識しかなかったと結論づけられるかもしれない。しかし、スマートフォンとなると話は別である。なぜなら、スマートフォンから演歌を流すためには、

 

1.CDからインポートする

2.YouTubeや有線放送から演歌を流す

 

の2通り以外ほぼ考えられないからだ。そうなると謎は、それほどのインターネットリテラシーをもつ人物が果たしてイヤホンを知らないのか、ということである。理論上は可能かもしれないが、現実的な話ではない。それはまるで、パチンコ屋の隣にたまたま玉を換金したがる業者ができたくらい不自然なのである。

 

では、イヤホンを知っていると考えられるのになぜ、ジジイは演歌を垂れ流したのか。

 

私は深く頭を悩ませた。何かの暗号メッセージか?洗脳された我々から目を覚まさせるために奮闘しているのか?それとも....?

 

ただの変わり者ジジイではないことは確かだが、どうしても答えは見つけられなかった。悶々と頭を悩ませていると、ジジイはおもむろに立ち上がりトイレに向かった。その店は男子トイレと女子トイレの扉が横並びになっている仕様で、それぞれの扉にはフェミニストが批判しそうなほどわかりやすい男女のピクトグラムと「男性」、「女性」という文字まであった。ジジイは女子トイレの前に立ち、指差して確認をした後「ヨシッ」と言って女子トイレに入っていった。

 

ただの変わり者スケベカスジジイだった。

おしりをやけどした話

❇︎タイトルは下品ですが、下ネタはないので安心して読んでください。お子さんの前でも朗読できます。

 

 

私は幸運なことに(こううんって逆から読んだら「うんこ」っぽいよね!)これまで入院を伴うような大きな怪我や病気をしたことがない。しかし、火傷の回数だけは他の人よりも多い印象がある。

 

例えば、記憶の中で最も古い火傷に背中全焼事件がある。6歳くらいの冬、お風から上がった私は寒い寒いと言いながら全裸でストーブの前まで走った。(全裸(ぜんら)とはおちんちん丸出しの状態のことである)

 

極寒の脱衣所を抜け,ストーブの暖かさに安心した私は、そのままストーブに背中を預け・・・・・ジュゥ・・・・

 

これが私の火傷人生の始まりである。ここから,やかん顔面強打事件,油ダイブ&エレファントレッグ事件,多部未華子事件など,話のネタにもならないささやかな火傷事件を連発してきた。そんな中で特別な存在となったのが今回のおしりやけど事件である。

 

そもそもおしりという部位は,変態以外は常に遮蔽しているため,その部分だけが火傷するという状況考えにくい。しかし,私のおしりは確かに,しかし,ズップリと焼けたのである。以下に詳しい経緯を記す。

 

お尻を火傷したのは,2年前のことであった。当時一人暮らしをしていた私はガス代が高額であることに憤りを感じていた。そこで,ガスを一切使わないという暴挙に出た。具体的には,シャワーのお湯の代わりに水シャワーで耐えることにしたのである。

 

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実際この試み自体は成功した(上記画像参照)のだが,水シャワーを達成するには少しテクニックが必要だった。それは,冷たいシャワーを浴びる前に限界まで体を火照らす(それはまるで欲望の獣と化した昼下がりの団地妻のように)ことである。私はランニングをして体を温めてから,水シャワーを浴びるという方略をとった。こうすると,水シャワーは浴びることができるが,体温が急激に下がるため自律神経がバグるという代償があった。これにより,シャワーの後,なぜか汗が出るほど暑さを感じてしまうのである。しかし,背(おしりがついている方の面のこと)に腹(おしりがついていない方の面のこと)は変えられないので,私はこの方略を続けた。

 

その日,いつものように水シャワーを浴び,自律神経がバグった状態で料理をしていた。いかんせん自律神経がバグっているので,シャワーの後はしばらく全裸(全裸(ぜんら)とはおちんちんが丸出しの状態のことである)で調理をしていた。ちなみに,普段は全然全裸ではないのでそこだけは念頭に置いていただきたい。

 

炊き上がった米を冷ますためにジャーから取り出し,野菜を切り終わった後,揚げ物をすることにした。ここで,私のIQが覚醒した。

 

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私は至極賢明であった。このまま全裸(全裸(ぜんら)とはおちんちんが丸出しの状態のことである)で調理をするとはねた油がおしりとかに当たって火傷してしまうかもしれないと思ったのである。

 

そこで,私はおしりとかを火傷しないために服を着ることにした。キッチンに背(おしりがついている方の面のこと)を向け,床に落ちている服を拾い上げようと屈んだ。

 

その刹那、おしりにとんでもない熱さを感じた。

 

なにが起きたのだっ・・・!?!私はIQを覚醒させ,ここまでの出来事を一瞬で振り返った。

 

 

シューーン

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シュン シューーン

 

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!!!!!

 

 

 

 

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そう,お米を冷まそうと,アッツアッツの米窯を置いていたことが仇となってしまったのだ。プリーズという願いも虚しく,プリンみたいにプリプリでプリティーなお尻は米窯にプリっと接着し,火傷してしまったのである。いつだって危険は音もなく静かに忍び寄るのだ,さながらプリウスのように・・・・・・

 

 

 

これが今回の事件の臀部(でんぶ)いや,全部である。このようなケツ末に至ってしまったのは,私の落ち着きのない性格が原因かもしれない。常に尻に火が付いたように慌ただしく動き回っているせいで,リスク管理も疎かになってしまったのだ。昨日よりも今日,明日(ass)よりも今日。常に目の前の瞬間に集中することが,こういった悲惨な事故を未然に防ぐことにつながるのだ。こういった人生の教訓はアレクサもSiriも教えてくれない。自らの経験でしかシリようがないのだ。

【ナンセンスダンスに投稿しました】漫画「I's」を国定教科書にしろ



 

ナンセンスダンスに投稿しました。英語版はこちら。

 

 

くどいようですが、私は本作に登場する泉ちゃんに恋をしてしまいました。これは全くの冗談ではございません。きっとこれを聞くと、「返報の見込みがない対象に恋心を抱くとは愚かなり」としたり顔で述べる輩が現れるでしょうが、それは全くもって非合理的な理論というほかない。そもそも返報の見込みがないことを否定することは、すなわち、返報可能性があるものしか信じない、ということを意味します。これはつまり、目の前にあるものが全てというような唯物論的な極論でございます。それはまるでサッカー選手を夢見る小学生に四季報をぶん投げて現実を知らせようとするような人道から離れた行為なのです。これまでの人類の大発展を翻ってみますと、やはりどれも返報可能性が低いものに挑戦した結果だったのです。すなわち、泉ちゃんに対する私の燃える恋心は、イノベーションなのです。

【お悩み相談】恋愛がうまくいきません

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前略 こんにちは。突然のお便り失礼いたします。私は異性との交際が上手くいかないので非常に悩んでおります。女性と話すこと自体はそれほど苦手ではないのですが,いざ交際となるととたんに全てが嫌になってしまうのです。というのも,私は交際相手が,親友や親よりも近い存在になると思っているので,少しでも嫌なところを見つけてしまうと,すぐに自分の最近(サイチカ)王に値しないなと思ってしまうのです。こんな性格だから交際経験がとても乏しいです。もうすぐ干支が2周するというのに,結構モテる小6男子(12歳)に負けてしまいそうで怖いです。どうすればいいでしょうか。 

愛知県22歳/やらせたかし 

 

 

 

お便りありがとうございます。

やらせさんのお便りを拝見して,率直な感想としては「めっちゃ自分のことが好きなんやろうな~」ということでした。

 

まず悩みが「モテない」ということではなく,「交際が上手くいかない」と表現するところや,「女性と話すことは苦手ではない」と言及しているところに,オレは他の非モテ童貞野郎とは違うという自尊心を感じざるをえません。また,随所に見られるユーモアらしき表現からも,オレはやっぱオモロいな~と悦に入っている様子が手に取るように分かり,キモイです。

 

しかし,そういったウザイ部分を排除すると,やらせさんが主張することはある程度理が通っているような印象があります。

 

 

ここで,私個人の見解を述べさせていただくとするならば,「される」より「する」ということです。おそらく,今やらせさんは,自分の不完全さを補完してくれるような恋愛を求めているのではないでしょうか。つまり,オレはこんな面倒くさいとこあるけど,他の魅力を買ってオレを貰ってくれ!といった受け身のスタンスを貫いていらっしゃるのです。そういった姿勢は言葉に出さずとも,自然に相手に伝わるものですよ。

 

では,対照的に「する」のスタンスで積極的な姿勢を貫けばいいのかと言うと,そう単純な話ではないようです。無策のままで積極的になってしまうと,相手に迎合するだけのサービス行為になってしまいます。

 

ここで僭越ながら,私のクリスマスが異常に嫌いエピソードをさせていただきたいと思います。クリスマスと聞くと,恋人同士で過ごす聖夜というイメージがあると思いますが,こういった場所や時の力を借りて恋人の時間を演出するのって,プログラミングされているみたいでめちゃ虚しくないですか?と中学生の時から思っていました。今思うとめちゃくちゃうざいガキでしたね。しかし,そんなクソガキだった私もクリスマス前にある女の子から告白されたことがあります。相手は男子の中でもチラホラ人気があるくらいの女の子で,性格が悪い子役というあだ名がついていた当時の私にはもったいないぐらいの女の子でした。しかし,「場所や時の力を借りて恋人の時間を演出するのって,プログラミングされているみたいでメチャ虚しくないですか?」と思っていたので,せっかくのお誘いを断ってしまいました。結局,その娘はすぐに別の男の子に告白していたので,私の見立ては正しかったのかもしれませんが,この経験により,恋愛に対してますます斜に構える見方をするようになってしまいました。一方で,個人としてではなく,クリスマスに過ごす相手として見られるくらいなら,これでよかったとも思いました。

 

長くなってしまいましたが,要するに,積極的に自分の存在を隠して,役割として振る舞う必要はないということです。ここで,寺山修司氏の「家出のすすめ」という本の一節を紹介したいと思います。皇居前広場でキスをするカップルたちを揶揄した以下のような記載がありました。

 

しかし,恋愛とはつねに個人的なものであり,組織的なものではあり得ようはずはないものです。皇居前広場で群がっている恋人たちは,「あすこへ行くとキッスができる」,という場所への依頼感と「まわりの連中を見せると,自分の相手の女の子もその気になるから」という効用論から皇居前広場を選んでいる ~(中略)~ イージ・オーダーの場所ではなく,自分たちの独特のオーダーで,趣味や生活や,感受性にふさわしい場所を発見することこそ,恋のたのしみでなければならなかったのではないでしょうか。

 

寺山修司 「家出のすすめ」 角川文庫 p175-176 より)

 

つまり,皇居前(クリスマス)といった属性の恩恵を受けて,恋愛のままごとをするのではなく,自分のオリジナリティで恋愛をせよ,ということです。

 

交際が上手くいかなかったのは,恋愛自体を楽しみたいと思っている女性側のニーズと,恋人とオリジナルな人間関係を結びたいと思っていたやらせさんのニーズの乖離から生まれたものかもしれません。

 

勿論,そういったあなたの自身の理想を持ち続けることは大切ですが,あなたが1つ理想を持つなら,相手の理想も1つ聞き受けるのが道理でしょう。いや,1つどころではなく,常に自分の2倍許せるくらいの心意気が必要だと思います。今のあなたは,何も与えないくせに「される」ことを待っています。人間は放っておくと,「される」楽なモードに切りかえてしまいがちですが,自分は何も与えないまま「される」ことを待つのはオムツ替えができない赤ん坊と同じです。まずは,無理のない範囲で相手に与えることから始めましょう。自分の2倍与えられるようになって始めて,対等な関係が築けるのです。

 

 

 

 

キン●マは2つ。2倍がんばろう。

 

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kodaino704@gmail.com

【note】に投稿しました。ジジイのアドバイス

note.com

 

最近はジジイとババアの話しかしていません。というのも,大学の授業もほとんどなく,ジジイとババアがいっぱいる職場でバイトをするかジジイとババアがたくさん通うスポーツジムに行くだけの毎日だからです。就活をしようにも,ジジイとババアが脳内から離れないのです。いつもジジイとババアのことを考えているので,時々,自分自身がジジイとババアではないかとすら思うのです。そう,私は,自分を大学生と思い込んでいるジジイとババアなのです。あしゅら男爵のよにジジイとババアが共存する完全体GGBB(ジジババ)なのです。そんなことを考えていたら,もう夜です。ジジイとババアは早くねるので,僕も早く寝てやろうと思います。

筋肉痛が痛い

顔見知りである知人の子どもと遊ぶ機会があった。その子は女の子どもではあったが、とても元気がよく、体を動かす運動が好きなようであった。しばらくいっしょに2人で遊んだ後、唐突に腹筋をしたいと言い出した。

 

 

〇〇ちゃんねー50回できるよ!!

 

 

と自分の自慢をしだした。

 

 

やれやれ,こんなに小さな少女が50回もできるわけないではないか。
子ども特有のハッタリと心の中で得心しながら,拙い腹筋を見届けることにした。

 

 

 

「....よんじゅうはち..!」
「...よんじゅう...きゅ...!」
「...ごーーじゅ!!!」


いや,できるんかい。

正直できないものと思っていたので,意外でびっくりした。
今回の出来事より,性別や体の大きさで断りなく無断にその人の限界を決めつけてはいけないのだと思った。これからは気を付けよう。

 

 

「じゃあ,次はDachimiN君ね!100回ね!」

 

 

あ,僕もやるのですか。偏った偏見反対エンドできれいに終わる流れかと思ったのですが。しかも100回かー。まあまあきついなー。

 

 

結局,最終的に腹筋100回をやることになってしまいました。それが原因となり,今は腹筋が筋肉痛でとても痛いです。トホホ...


あ、ところで重複って正しくは重複「ちょうふく」って読むって知ってました?近頃は,「じゅうふく」と読む人が多いため「じゅうふく」でも良いという傾向になりつつあるらしいですが、それでも正しい日本語は(ちょうふく)なので,できる限り正しい日本語を使いたいものですね。

人生はカレーライス

「ナスとソーセージご飯400g でお待ちのお客様ー?」

 

バイト先のおっさん達とやってきたココイチで、運ばれたきたそのカレーは誰のものでもなかった。

 

 

 

「ぼく、、、ほうれん草って言ったけど、、、?」

 

 

180cmはゆうに超える巨体にスキンヘッドのおっさんが怒りを抑えきれない様子で声を震わせながら呟いた。今でこその風貌にも見慣れたが、初見の人はチビって有り金を全て置いて逃げることだろう。

 

店員さんもビビってしまい、ただオドオドするだけだった。他のおっさんが気を利かせて「変えてもらえばええがや(変えてもらえば良いではないか)」とフォローしたが、スキンヘッドはもういい!!と子供のように駄々をこねて、卓上のとび辛スパイスを当て付けのように無茶苦茶に入れていた。

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(とび辛スパイスは入れると辛くなるよ)

 

 

その量は尋常ではなく、カレールーが見えなくなるほどだった。もはや食い物ではなくなったはずだったが、スキンヘッドはムキになってキレながら食べてた。

 

確かにオッサンの気持ちも分かったけど、自分の思い通りにいかなくなるとすぐ癇癪をおこすのはあまり褒められたものではないと思った。私は思い通りにならくても子どものように振る舞わないでおこう、オッサンがヤケクソでくれたソーセージを食いながらそう誓った。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその日の午後、私は就職に関する電話面談があった。もともと5時と聞いていたが、前日のアポ確認では、5時半と言われた。まあ遅くなる分にはいいかと思い5時半のつもりでギリギリまで働くことにした。すると、5時10分ごろに電話がかかってきた。どうやら、やはり電話は5時からのつもりだったらしいが、昨日のアポ確認で誤って5時半としてしまったらしいのだ。5時にしても10分以上遅いことにまずムカついたし、向こうの都合で5時30分には電話を終わらせてほしいと言われて何だか腹が立ってしまった。

 

 

何か話したいことはあるかと聞かれても、「ない」と素っ気なく返してしまった。

 

本当はナマコの直腸で暮らすカクレウオの話について3時間くらい話したかったのに。

 

 

志望理由についても聞かれたが、「まだ考えていない」といじけて答えてしまった。

 

本当は200個くらい用意していて、それぞれをデデデ大王のモノマネをしながら言えるくらい練習していたのに。

 

 

なんだか元気ないね、と言われても「別に普通っす」と冷たく答えてしまった。

 

本当は、ペコちゃんの顔でスキャットマンの歌を歌いながら、光速盆踊りを披露するくらい元気だったのに。

 

 

この時、私の行動は卓上のトビカラスパイスをかけまくるスキンヘッドと同等のものだったといえよう。自分の本当の気持ちには蓋をしながら、トビ辛スパイスの蓋は全開にする。その先には激辛の未来しか見えないことを知っていながらも、思い通りにいかなかったストレスから自傷的行動に走ってしまう。

 

 

 

思えばこれまでの人生そのようなことの連続だったかもしれない。すぐに止めればまだ間に合ったかもしれないのに、ついついムキになって激辛の素を入れ続けてしまう。カレーも人生も1度激辛にしてしまったものは元の辛さには戻せないのだ。今年23になるほど加齢をしているというのに、未だにそういった愚行を繰り返してしまう。理想とする華麗な男の生き方とは程遠く、ついつい自己嫌悪に陥ってしまう。

 

しかし、もうやってしまったことはどうしょうもない。人生もカレーも、元に戻れない激辛状態になってしまったとしても、ただひたすらに歩んでいくしかないのだ。やり直しの効かないという点で人生とカレーはよく似ているかもしれない。私は人生とカレーの不可逆性を楽しみながら、これからも辛口の人生を楽しんでいこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いや、カレーは元に戻れるんかーい!