ステーキ宮事件

もうこの人とは二度と会わないだろうということを分かっていても,その一瞬のために見栄を張ったり,恥をかかないように振る舞ってしまう傾向がある。そのようなしょうもない行動の結果残るのは,虚しさとちょっぴり高めの伝票だけである。そう,あの「ステーキ宮事件」のように........

 

大学1年の蒸し暑い夏の夜のことだった。アルバイトを終えバイクで国道を走っていると,オレンジ色の大きな看板が私の目を引いた。それは,「ステーキ宮」であった。チェーン店であるため,名前は一応知っていたが,実際中に入ったことはなかった。お肉をガッツリ食べるのも良いと思い,ステーキ宮に行くことにした。

 

ここで,その時の私の心理状態を説明しておきたい。まず第一に,私は鶏肉が大好きであったため,ステーキ屋さんに来たものの,チキンステーキを食べるつもりでいた。また,私はおかずとごはんをバランスよく食べる,所謂「三角食べ」がめちゃくちゃ苦手である。お肉をっ!口に含んでっ!米をっ!かきこむっ!!ガッガッガッ!!という食べかたではなく,お肉だけ集中して食べてしまいたい。従って,サイドメニューのライスは必要ないと思った。したがって,私は心の中で「チキンステーキ単品」というオーダーを予め決めてあったのだ。

 

さて,はじめて店内に入ると,予想以上に客単価が高そうなお店だった。実際メニューを見てみると,ステーキの平均価格は1500円くらいで,サイゼリヤのリブステーキ999円を超高級品と認識している私にとっては,いささかびっくりプライスであった。まぁ,たまには贅沢もいいだろうとお目当てであった「チキンステーキ」に目を落とすと,チキンステーキは群を抜いて安い790円であった。先ほど述べたように,私は「チキンステーキ」が食べたくてここに来た。だから,ただ「チキンステーキ」を食べればいいだけである。

 

しかしここにきて,「ここで一番安いやつを頼むとケチ野郎と思われるのではっ.......!!?」というしょうもない思いがでてきた。しかも間の悪いことに,ウェイターがちょっと可愛い娘であったため,なおさら恥ずかしい思いをしたくないと思ってしまった。勿論,チキンステーキを頼むことは恥でも何でもないし,何百人と接客している彼女(ましてやバイト)にとっては,そのうちの一人の客が何を頼もうと心底どうでもいいことは分かっている。

 

そう思うと何だかバカバカしくなって来た。もうこんな二度と会わないような小娘のことなんてどうでもいい!ワイは自分の食べたいものを食べるでぇ!と息巻いてウェイターを呼んだ。歩み寄る可愛い店員。入念に頭の中で注文のシミュレーションを繰り返す。

 

 

  私   「chicken steakと君の電話番号をミディアムレアで....

可愛い宮店員「きゃっ!びっくり(ドンキー)!でもこの人すっごい "さわやか"... キュン」

 

 

どうやら完璧なようだ。

 

完璧すぎる計画に我ながら感心していると,店員が可愛いらしい笑顔を携えてやってきた。

 

可愛い宮店員「ご注文は?(キュートスマイル)」

 

 

よし,決めてやるっ・・!!!

 

 

私「アッ,コノ宮ロース(1490円)を一つ...」

 

 

 

緊張しすぎてchicken steakのchiの発音が出てこなかった。それどころか,適当に目に入った宮ロース(1490円)を指さしてしまった。己の弱さが憎かった。ギリギリになって,やはりケチに思われたくないという心理がはたらいてしまったのだ。1490円か...と打ちひしがれていると....

 

 

 

可愛い宮店員「パンかライスどちらになさいますか?(キュートスマイル)」

 

 

パンかライスを「お付け」しますかではなく,「どっちにするか」という,必要を前提とした質問がきた。A(パン)かB(ライス)かで聞かれた質問に対して,C(いりません)という第3の選択肢で答えるのは非常に気が引けた。しかし,先ほども述べたように,私は三角食べができないので,パンもライスもいらないのである。先ほどは,近くで見たらさらに可愛くて先制を許してしまったが,ちょっと可愛いくらいで世の中を渡っていけると思ったら大間違いである。こういう小娘はちやほやしたり甘やかしたりしてはいけない。毅然とした態度で,社会の厳しさを教えてやらなければなるまい。なめるなよ...おれは何もいらない.....くらえ!!

 

 

 

私「アッ,アッ,ジャ,パンデ...」

 

 

 

不思議ですねー。人間選択肢を与えられると,それ以外言えなくなるんですね。確かに,私が某ファミレスでアルバイトをしていた時,「こちらの席でよろしいでしょうか?」ではなく,「こちらの席はいかがでしょうか。」と言えと教えられた。なぜなら「よろしいでしょうか?」の答えは(はい/いいえ)の二択でお客様は断りづらいが,「いかかがでしょうか」なら答えは無限(?)だから,席がお気に召さない場合断りやすい...らしい。

 

しかし実際働いていて「いかがでしょうか?」と聞いても拒否されることはなく,みんな無言で案内されるままに座っていった。席に案内する質問が形骸化していたので誰も気にも留めなかったのだ。しかし,一人だけ「あたしゃね,窓際がいいの」と言う,ちびまる子ちゃんみたいなお客様がいたが,きっとこういう人は,質問の仕方に関係なく,キッパリと断るタイプの人であろう。

 

話が脱線したが,結局NOと言うことを恥ずかしいと思ってしまい,私は望まぬパンを注文する羽目になってしまった。私も,「あたしゃね,肉だけ食べたいの」と言える,まる子ちゃんスピリッツが欲しい。まぁ,注文してしまったものはしょうがない,残さず食べようと思っていると.....

 

 

 

 

可愛い店員「ご一緒にサラダはいかがでしょうか?(キュートスマイル)」

 

 

 

 

もうやめてくれ。見ればわかるだろう。外食に来てサラダ注文するような人って,外食でサラダ食べますよっていう顔してるだろう?。こんなシけた学生がステーキ屋さんで課金してサラダ頼むようにみえるか?もしかして,この女,俺をカモだと思っているのか(チキンステーキなだけに)?言いたいことが言えない気弱な美青年であると決めつけて,搾取しようとしているのか?私はそう思うと頭に血が上り,彼女のフォアグラ(胸ぐら)をつかみかかりそうになった。しかしここは冷静に対処して大人の貫禄(当時19歳)を見せようとした。あまりお客様をなめるなよ....サラダなんて女々しものいらねぇよ...くらえ!!

 

 

 

私「フヒヒヒ....ハイ」

 

 

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気が付くと目の前には,いらないステーキといらないパンといらないサラダがあった。

そして伝票に目をやると2000円を越していた。せめて伝票にあの娘の電話番号ぐらい書いてあってくれと神に祈ったが,紙には無機質な数字が並んでいるばかりであった。2000円という値段は,食べたいものを頼んだ末の値段なら納得できるが,不本意な注文であった今回はとても悔しかった。私は,この経験から,「一時の恥に負けず,言いたいことは言える大人になろう」と誓った。その戒めとして,この日のレシートは今も実家の壁に貼ってある。