『いいよ』
バイト先に身長187cmの海坊主みたいな怖いおっさんがいるのだが,その人は口癖のように「~していいよ」と言う。
「それ持って行っていいよ」
「コショウかけていいよ」
「モップの裏も舐めていいよ」
上記のような文脈なら特段違和感もないように思われるが,時として心に何か引っかかるような場面もある。
「掃除していいよ」
「この書類チェックしていいよ」
「あの仕事もやっといていいよ」
きっとこの違和感の原因は,「いいよ」に含まれる許可・被許可の関係にあると考えられる。「いいよ」を英語でいえばおそらく,「You may~」が妥当であろう。つまり,何かをする許可を与えられるということである。そして,ここには必ず,許可を乞う前提があるはずなのである。
例えば先ほどの例ならば,
『これ欲しいな。これ持っていっていいですか?』
⇒「持っていっていいよ」
『ちょっと味薄いな。コショウかけてもいいですか?』
⇒「かけてもいいよ」
『ペロペロ。やっぱりモップの表は甘いな。裏も舐めてみてもいいですか?』
⇒「舐めてもいいよ」
このように,許可を乞う文脈があってはじめて「~していいよ」は効果を発揮するのだ。そして,その許可を乞う際には必ず「~したい(I want to~)」があるはずなのである。しかし,違和感を覚える場面ではこういった文脈がほとんど成立していないのである。
例えば,
『あぁ!掃除してぇぇえ!!掃除してもいいですか?!』
⇒「掃除していいよ」
『書類チェックしてぇぇえ!!この書類チェックしといてもいいですか?!』
⇒「チェックしていいよ」
これまで一度も掃除をしたい,と思ったこともないし,書類をチェックしたいと思ったこともない。それにも関わらず,まるで私が渇望した結果,特別に許可をいただいたという風に見えてしまうことからムズムズする違和感を覚えるのであろう。
こういった,やりたいと思ってもないのに,一方的に許可を与えられる状況は,思春期の子どもが親に向かって言う「誰も産んでくれなんて言ってねぇし!!」という状況と酷似している。この言葉は親を悲しませるが,思春期の不安定な心理状態にとっては,頼んでもいないのにまるで「生きてもいいよ」と言われるような一方的な状況が面白くないのだ。これは,親や社会に対して,一方的な主従関係ではなく,対等の地位に立ちたいと思う気持ちの表れなのかもしれない。
しかし,時には,頼んでもいないからこそ,予期していないからこそ,得られた幸せだってあるだろう。それこそ,産んでくれとはいってはいないが,生きる許可を与えられたために,美しい自然に心を打たれたり,素敵な人と出会い心を通わせたりする経験ができるのだ。そんな素晴らしいチャンスをヤンチャな受精卵が判断できるはずもなかろう。したがって,ある状況では一方的に許可を与えられる方が良い結果を得られる場面もあるのである。
そう,つまり,先ほどから願ってもないのに「~していいよ」と言われ釈然としないと主張する自分こそが,未熟な受精卵ボーイだったのだ。その「いいよ」の先にある未知のワンダーランドに想像が及ばなかった。今こそ,悔い改め,先輩のありがたい「いいよ」を一心に受け止めるべきだ。
「掃除していいよ」
『よっしゃ!ありがとうございます!心も洗われるようだなぁ』
「俺の代わりに仕事してもいいよ」
『ひゃあぁ!ありがとうございます!たくさん仕事が覚えられるなぁ!』
「金かしてもいいよ」
『え・・い,いいんですか?!じゃあ,とりあえず5万円・・・!!よ~し,無駄遣いせずに済んだな!』
「明日,午前3時に福岡に迎えに来てもいいよ」
『え・・?!あ,朝3時に福岡はさすがに・・』
「明日,午前3時に福岡に迎えに来てもいいよ」
『あの・・・それに,明日は用事があるので』
「迎えに来てもいいよ」
『・・・・・・・・ハイ・・・』
「ガソリン代,お前が出していいよ」
「金ない?臓器売ってきていいよ」
「なに?泣かなくていいよ」
『・・・・・・・・・・』
「おい,包丁なんか持たなくていいよ」
「まて,こっちに来なくていいよ」
「落ちつけ,話聞いていいよ」
「ウッ・・急所に刺さなくていいよ」
「ちょ,血止まっていいよ」
「あ・・意識遠のかなくていいよ」
「・・・・・何回も刺すのやめて・・・いいよ」
「・・・・・・い・いよ」
『・・・・・・・・・・』
「・・・・・・・・・・・・・いい・・y」
『・・・・・・・・・・』
「・・・・なるほど,職場の先輩の無茶な要求に耐えきれなくなって,今回の犯行に及んだわけですね。それでは,より詳しいお話は署で伺いたいと思います。署までご同行願えますか?」