はじめに
7月24日,満を持して日本一周の旅に出た。期間は大学が始まる10月までの約2か月間。最終的には,目標の日本1周を直前にしてバイクの故障があり,断念してしまったが,とにかく生きて帰ってこれた。バイクも無事手元に帰ってきたので,改めて旅の振り返りをしたい。もしも今後旅をしたいと考えている方がいたら,参考にならないと思うが一応目を通していただきたい。
旅の予算
2か月間死ぬほどバイトをした結果,45,6133円稼いでいた。そこからバイクのローンや諸々を引いた結果,手元に残った30万円が今回の予算だった。単純に60日で割ると,一日当たり5000円であるので,これだけ聞くと案外楽勝なのでは?と思われるかもしれないが,これがかなりギリギリなのである。
まず,大体ガソリン代が1日1000円くらいかかる。食事は少なく見積もって1回500円だとすると,3食で1500円。これら2500円が毎日必ずかかるお金だとすると,残り2500円で飲み物代,観光費,風呂,洗濯,また宿泊費を捻出することになる。当然このような理想の予算通りにはいかず,ヤマザキ薄皮粒あんパン(90円)で飢えを凌いだり,HOTEL NOZYUKU(0円)で滞在したりしないとやりくりは難しいだろう。
もちもの
鞄はTANAXのフィールドシートバックの39Lのものを使用した。
中身はこのような感じである。
1: 書類ケース (地図,学割証明書,本などを入れる)
2: キャップ (おしゃれBOYだから,ヘルメットでペチャンコになった髪型を隠せる。しかし,後半は格好を全く気にしなくなり使わなくなる。)
3 :後述する
4: クリーム,ひげ剃り,薬,香水(最終的にひげ剃りしか使わなくなる)
5: 手洗いよう洗剤とロープ(袋には62回とあるが,結局めんどくさくて2回くらいしか手洗いしなかった)
6: コンタクト
7: 別冊マーガレットのふろく(京都大学のフリーマーケットで10円で買った。激カワ女子大生が愛用していたと願って...中には耳かきや絆創膏がある)
8: 服
9: シャンプー,リンス
10: はみがき,ボディーシート (風呂に入れなかった日は大変お世話になった)
11: 下着
12: 虫よけスプレー
13: 水(飲み物代を節約するため2Lで80円とかのやつを使っていたが,重いし,いちいち鞄から出すのが面倒になってきてやめた)
14: パーカー(寒い場所,特に北海道では重宝した),レインパンツ(カナダで買ったカナダ軍の防水ズボン。軍が使っていただけあって素材自体は申し分ないのだが,なぜが股間部分が空いているので雨が降るとお漏らしスタイルになってしまうのが難点)
15: ランタン(テントの中で使う),タオル(よく乾くタオル。日本人は絶対使わないフォントがチャーミングな中華製だったが,性能は結構良かった。)
16: テントのグラウンドシート
17: マット(寝袋の下に敷くやつ。これがなかったら寝れなかっただろう)
18: 寝袋(Amazonで買った激安のやつ。コンパクトだし,性能も悪くなかった)
19: テント(アメリカのリサイクルショップで30ドルで売っていた。当時,テントの相場は2万円くらいだと思っていた自分は,これは超お買い得だと思い即決購入。しかし,購入直後に新品が40ドルで売られていたと知り涙。さらに,スーツケースの半分をテントが占領したため,いくつかの持ち物はアメリカでその生涯を終えてしまった。)
20: なぞの袋
1~20の持ち物の総重量は21kgなのだが,この20の「なぞの袋」は実に3kgも占める。その中身は,
重いし,かさばるしで何で持って行ったのだろうと思う時もあったが,近くに人間が住んでいない場所でのテント泊では,買い物に行けない私のための夕飯になったし,夜は枕になり私を癒してくれた。旅が進むにつれ量が減っていく様は感慨深かった。
(21: おばあちゃんにもらったお菓子)
総走行距離
7516KM
滞在(泊まった)のは,以下のルート
愛知ー長野ー山梨ー東京ー茨城ー宮城ー岩手ー青森ー北海道ー新潟ー石川ー京都ー兵庫(淡路島)ー香川ー高知ー大分ー宮崎ー熊本ー佐賀
通過してない県は,山形,秋田,島根,鳥取,広島,岡山,沖縄県である。沖縄は行ったことがあるからいいとして,本当に足も踏み入れていないのは,残りの6県である。
???「お~い!オレを忘れてもらっては困るぜ~!」
ん??その声は!?!?
埼玉県「主役はいつも遅れて登場,てか(笑)」
え?まじで誰??(埼玉県は旅の後半にマジで行ってないことを思い出しました。すみませんでした。)
おわりに
この旅は自立の旅であるのと同時に祈りの旅でもあった。雨が降らないことを「祈り」,寝られる場所があることを「祈り」,野宿している時にはヤンキーや野生動物に襲われないことを「祈り」,朝起きてバイクが無事であることを「祈った」。そう考えると,この旅は常に不安との戦いだったのかもしれない。安心とは程遠い日々が続いていた。
そんな中で1度だけ宿に泊まり,屋根の下の清潔な布団で眠った。幸せだった。今まで,帰る家があって,迎えてくれる家族がいて,明日が来ることは何とも思っていなかった。しかし,そんな「普通」の生活は当たり前ではないということに改めて気が付いた。これまでの私はと言えば,その幸せに気が付かず,欲張りにも,もっと求めていた。
これからは,あれもこれもと欲張る人間ではなく,足ることを知った人間になりたい。
屋根があって,雨風をしのげて,飢えない程度の食料があって,美人爆乳ドジっ子メイドがいて,ポルシェが2,3台あって,年収も2,3億円程度もあればもうそれで十分だ。求めすぎない生き方が,来たる超高度AI社会に生きる我々には必要だ。そんな当たり前のことを知った2か月間の旅だった。